日本でゴルフコースが初めて造られた1901年から一世紀以上、ゴルフ場は大きくその様相を変えてまいりました。ここではゴルフ場の歴史を振り返りながらご紹介していきましょう。
1900年~日本初のゴルフ場
日本初のゴルフ場は英国人によって1901年神戸・六甲山に4ホール建設されました。しかしこのゴルフ場は冬の間はクローズするものでした。その後、兵庫県を中心にいくつかのゴルフ場がオープンし、そこには外国人を中心としたメンバーが集っていました。
1910年~日本人のためのゴルフ場
日本人のためのゴルフ場(東京GC)は、アメリカでゴルフに出会った日本銀行社員によって東京・駒沢に1914年、手作りで完成しましたが、その純国産のゴルフ場の状態はずいぶんとひどいものだったといいます。当時のグリーンは砂に油を撒いて固めたサンドグリーンで、これは1933年まで続きます。しかしこの粗いゴルフ場こそが、海外でのゴルフ経験者を差し置いて、見事に第1回倶楽部選手権(1916年)で優勝、同選手権3連覇、1919年の日本アマチュアゴルフ選手権競技優勝など輝かしい成績を残した川崎肇という強いゴルファーを育んだというエピソードがございます。
1920年~18ホールのゴルフ場
東京GCは会員数が増えるとともに9ホールのコースではもの足りないという声が出てきました。そこで1922年に程ヶ谷カントリー倶楽部が誕生致しました。これは18ホール、チャンピオンシップコースであるだけではなく、会員制システムを採用した画期的なゴルフ場だったのです。まさに日本のゴルフ場の礎といえるでしょう。
1930年~ゴルフ場の発展と戦争
この頃になると中流階級のゴルファーも増え、それに応じて建設費、入会金などが手頃な庶民的なゴルフ場も建設されることになります。しかしそのように栄えてきたゴルフ場も、開戦とともに陸軍用地として閉鎖を余儀なくされ、戦後も復活することなく消滅してしまうものも多数ございました。
1940年~終戦とゴルフの大衆化
終戦後、経済の発展とともにゴルフ場も少しずつ数を増やしてきました。そんな中、1957年に「第5回カナダカップ」というイベントが開催されました。会場となったのは霞ヶ関カンツリー倶楽部。36カ国の代表2人の合計スコアで順位を決定する競技です。この世界的なイベントで、日本チーム(中村寅吉、小野光一)が優勝。この快挙は、日本初のテレビの実況放送によって、一般の人たちにも“ゴルフ”というスポーツが広く民衆に知れ渡ったのでした。
1970年~高度成長期のゴルフブーム
高度経済成長の中、ゴルフ場の数も急激に増え、職人気質のゴルフ場づくりから大手ゼネコンによる大規模な建設へと進化していきました。さらにジャンボ尾崎というヒーローの登場によってゴルフブームが巻き起こります。ゴルフ場の数は1975年には1000を超えました。
1980年~バブル経済のゴルフ場建設ラッシュ
ブームを受け一旦大衆化したゴルフは、バブル経済によって会員権が高騰し、”接待ゴルフ”という言葉が誕生するなどスポーツから仕事の延長、投資というものに変化していくことになります。ゴルフ場開発は大掛かりなプロジェクトとして加速し、乱立するゴルフ場が環境破壊であるとの指摘もありました。
1990年~バブル崩壊とゴルフ場の倒産
まさかのバブル崩壊。バブルの時期に建設が始まったゴルフ場が完成したのは崩壊後というケースも多く、たちまち経営が困難に陥り、倒産するゴルフ場が出てきます。サービス偏重のシステムから自動支払機を導入するなど時代に合わせて変化を遂げるゴルフ場も多く現れました。
2000年~ゴルフ場の今
2002年に過去最多の2460箇所あったゴルフ場は2015年では2383箇所。団塊の世代の高齢化や若者のゴルフ離れが進み、ゴルフ場も引き続き苦しい状況に立たされています。しかし現在でもアメリカ、イギリスに次いでその数は世界3位。ある調査では ゴルフコースを選ぶ際に重視するものは何か? との質問に、回答の上位二つは (1) 価格が手ごろ (77.8%)、(2) アクセスが良い (58.7%) という結果でした。今後、日本のゴルフ場は、コンパクトなクラブハウス、太陽光発電などニーズに合わせ生き残りをかけ模索し、さらなる進化を遂げることでしょう。